孤影悄然のシンデレラ

ぼくの思考のセーブポイント

インターネットつっまんねぇな

 似たような記事は無限にあると思うが、書きたくなったので書かせてほしい。

 思いついた順に書いているので、何回か読みかえしてもらって、それでぼくの愚痴が伝われば幸いだ。

 

 ぼくは平成10年生まれ。小学校でパソコンクラブに入って、ニコニコやFlashを見ていた。おそらくその時がニコニコやFlashの全盛期だった。当時のぼくは消費者で、ぼくのちょっと上の世代、彼らが(ぼくにとっての)ネットの面白さの全盛期を築いていた(と思う)。

 最近のインターネットは面白くない。「懐古厨乙」といわれたら否定する気も起きないが、それにしてもインターネットはつまらなくなった。”つまらなくなった”という書き方をする以上、いつと比較しているのかを明記した方がいいだろう。10年前だ。しかしやっぱり、5年前よりも今の方がつまらない。ネットは現在進行形でさらにつまらないものになってると、そう感じる。

 断っておくと、インターネットといってもインターネットのすべてを否定しているわけではない。ここでいうインターネットというのはtwitterinstagramtiktokyoutube、5chといった多くの人が交流目的で使っているサービスの総称に過ぎず、情報通信網全般のことをさしているわけではないということだ。

 なんとなくネットが面白いと思わなくなり、なんで俺はこんなものに貼りついているんだとなり、昔はよかったのになぁと感傷に浸る。そんな日々を送っている。

 無論、思い出補正もあるだろう。自分の面白さの基準が変わったのもあるだろう。そんなことは分かっている。削除された動画は基本的に帰ってこないから再び目にすることはない。たまにyoutubeに何者かによって再投稿されたものを見ても「この動画なにが面白いんだ?」ということはいくらでもある。当時の感動も高揚も、もう味わえない。当時の記憶を美化して、それにしがみついていることも分かっている。こんな誰も読まない記事で不平不満を垂れ流したところで何も変わらないということも分かっている。それでも、それでも言いたい。インターネットはつまらなくなったと。

 

 自分に起因するインターネットがつまらなくなった要因はあげてしまえばそれで終わりだし、それだと本当にただのぼやきになってしまうので、外的な要因について書いていきたい。

 要するに、つまらなくなったのは、インターネット普及に伴う思考の画一化だと思う。

 一旦、コンテンツの一生というものを見てほしい。

 面白い人が面白いことをする(A)

→凡人がつられてやってくる(B)

→凡人が主張を始める(C)

→面白い人たちが見切りをつけて去る(D)

→凡人が居座って面白くないことをする(E)

→面白くないのでみんないなくなる(F)

このような流れだったと思う。

 インターネットがソシャゲなどの他コンテンツと違うのは(B)が(今のところ)なくならないこと。というのも、インターネットを使えないよぼよぼな人々、年金をもらい我が物顔でふるまい財政を圧迫するだけの人々が、二酸化炭素と水へと移り変わっていく一方で、今や三大欲求にならび人間に欠かせないものであるスマホを手にしたキッズたちは(少子高齢社会の我が国でさえ)とどまることなくこのインターネットの世界にやってくるからだ。(B)がなくならないので(F)、コンテンツが死ぬ心配がない。だからいつまでも(C)や(E)があり続ける。とうの昔に面白い人たちは皆、去っていってしまったかもしれない。本来ならオワコンとなるべきところ、人はいるので仕方なく存続している。それが今のインターネットではないか。

 

 そもそも、昨今、ネットとリアルの境界が曖昧になった。曖昧になったというか、なくなった。インターネットがリアルの延長線上にあるという、要するにそういう話だ。 

 ネット上に現実の自分とは似ても似つかない仮想の”つよい”自分をつくり、四方八方に噛みつくことはしにくくなった。これはぼくだけ、ぼくのまわりだけの話であって、実はそういうことをやめてない人もいるかもしれない。でも、リアルの延長線上のインターネットでこんなことやってると「こいつ見ず知らずの人に向けて痛いこと言ってんなぁ」と嘲笑の的となる。よく言えば、ネットリテラシーが上がった。モラルを理解した。自分も、まわりも。その結果、許されない行為が増えた。ちょっとした出来心、承認欲求からくる1行為が弾劾されるようになった。行為の善悪の話ではなくて、もっと自由に発言できる場であるべきだった。軽い冗談のつもりでやったのに、それが人生を大きく変えてしまうような場所で誰が羽を伸ばせるんだ?

 それで、人は自分をわかってくれる人だけを集めた狭いコミュニティにこもる。今度はそこで馴れ合いを繰り広げる。基本的にリアルでも親しい人たちと、閉じた環境で楽しむようになる。これは間違ってない。むしろ正解。情報が飽和した環境において、あえて狭い場所にいくことで、無駄すぎる情報を切り落とせるし、好きにやることができる。面白い人たちは籠ってしまったのかもしれない。くそっ。

 開けたコミュニティでは悪口を言ってはいけない。ストレスのはけ口にしてはいけない。じゃあどこで悪口言えばいいんだよ。リアルで言えばいいのか?面と向かって「お前むかつくな」といえばいいのか?コミュニティ全体が悪口を言っていい雰囲気のときにそれに便乗するのか?くそっ。、おれはもっと自由に発言したいんだよ!な~にが「その投稿 玄関に貼れますか?」だ。玄関には貼らない。インターネットとリアルは別。混合してんじゃねぇぞ、くそっ。

 無名の人間の本質を突いた発言が注目されることも少なくなった。ここはインターネットの世界だというのに、この世界で発言力がある人というのはリアルでの発言力がある人と同じになった。名のある人のそれっぽい発言がバズる。は?お前ほんとにそれが良いと思ったのか?盲目的に「この人の発言だしすごいに違いない」とでも思ってないか?仲の良さを保つためにお世辞を言いあう。ふざけるな。インターネットはそんな温い場所じゃないだろ。

 もっとこう群雄割拠、頂点跋扈な世界が見たいんだよ俺は。整備されてしまった綺麗な世界じゃなくて、ヤバいもの見たさにヤバいやつが集まった世界が見たいんだよ。

 整備されてないところとして例えばyoutubeのコメント欄が挙げられる。(少なくとも精神的に)キッズがしょうもないことで議論(と呼ぶのもおこがましい独り言の掛け合い)を繰り広げている。(「○○な人いいね押して」でコメ稼いでいる雑魚は4ね。)変な話だが、youtubeのコメ欄は面白ない。民度が低いから。整備されてないところを求めておいて、民度が低いところは嫌というのは、我ながらわがままだと思う。でも、本当に耐えられない。リテラシーが高い環境にちょっと身を置いてしまったら、逆戻りできなくなった。知恵袋で見当違いな回答をしている回答者に訂正をいれて、質問者が望まないプライドをかけた不毛な争いをしようとも思わない。確かに刺激を求めている。求めているが、場所はここではない。

 荒んだ環境が楽しめたのは、当時の自分が幼かったからかもしれない。荒んだなりに適切なルールがあったのかもしれない。結局この記事は、ぼくが老害かましているだけなのかもしれない。

 

 というか、ネットを小金稼ぎの道具としてみてる奴ら全員4ね。

 大量のアフェリエイトリンクに申し訳程度の文章を書いたブロガーも、匿名掲示板の書き込みを切り貼りしてまとめサイトを運営してる奴も、なんにも面白くない動画上げてるyoutuberも全員4ね。「彼氏は?年収は?〇〇について調べました。(中略)いかがでしたか?」じゃないんだよ、テンプレ記事書いてる雑魚4ね。まとめサイト読んで満足してるやつも4ね。まとめサイトに慣れすぎて「長文無理」とか言ってる奴も4ね。基本的に下らない話しておきながら、叩けそうな相手をみつけた瞬間一致団結して叩き始めたり、マウントを取り始める奴らも4ね。いくら脳がついてなくて脊髄反射するしかないからと言って、本当にチンパンジー以下に見えるぞ。ネタでやってることがわからないでマジレスしてくる奴も4ね。猿でもわかる短文で書かれた文章しか理解できない奴全員4んでくれ。

 ここでいう4ねっていうのは半年ROMっててくれというのと同じニュアンスですよ、一応言っておくと。

 

 

 以上のようなことを書くと「まわりが面白くないのはお前が面白くないからだ。世界を変える前にまず自分を変えろ」などと物知り顔でのたまう人が無きにしも非ずなので、このことについて少し紙面を割く。

 そんなことはわかっている。自分はインターネットに退屈してしまったんだと思う。それでもなお、インターネットに刺激を求めている。求めてはいるが、新しく探す気力も起きない。もうインターネットにはおなかいっぱいだ。受動的にコンテンツを待っている。それていて、何が来ても十分に検討せず、つまらなそうだなと食わず嫌いする自分がいる。

 そもそも、インターネットに書かれたものの大半は既に(インターネットであれ、本であれ)どこかで十分に語られたことだ。最新の論文にアクセスみたいな場合をのぞいて、情報収集でわざわざインターネットを使う魅力はない。

 昔は本に書かれていないコアなことを書いてるオタクがいた。当時のぼくはあまり本を読んでいなかったから知らなかっただけと言われればそこまでだが、それでも一定数、単に自己満足のためにコア、ニッチなサイトを作り上げてる人たちがいた。彼らは、テンプレあふれる世界に嫌気がさしたのか、それともその世界に迎合したのか、見なくなった。

 最近、本に、文章に目を通すようになって、その質の高さに驚いている。読んでいるのはここ数か月ででたようなものもあれば、何千年も前に書かれたものまであるが、いずれにしても、すごい。文章の書き方のイロハもしらない自分と違って、洗練された思考が緻密な描写をもってえがかれる世界がある。テンプレに目を通してあへあへしてる我々にはこんなすごいものは書けないと、そう思わせられる作品がごろごろしてる。(薄っぺらい自己啓発本は消えろ。)

 じゃあな。

 俺はもうインターネットやめたぞ。やめてないのは、いまだにこんな記事を読んでいる

 

 お前だけ。