孤影悄然のシンデレラ

ぼくの思考のセーブポイント

偏差値30

 正月にこうやって頭の中を書きだしていくの、悪くないと思うんです。こんなことよりも遥かにやりたいこと、やらなければいけないことがあるけど(例えばグラブルとかグラブルとかグラブルとか)今のぼくは年始の雰囲気という存在によって背中に退屈という銃を突きつけられているのでおちおち進捗を生むこともままならない(?)

 

 で、ずっと思ってたんですけど、例えば高校受験用の模試で、公立中学の生徒の大半が受ける模試(東京だとV模擬とかですか?)で偏差値30とか40とるような人って、高校、大学といかなくていい、いかないほうがいい、というか勉強に時間を割かないほうが良くないか?

 数年前に話題になったビリギャルみたいなタイトル盛りまくっているのは置いといて(ああいう状況は意図的につくれるので(ぼくも全国模試で化学の偏差値30台とってるし)(自語りをやめろ))、中学時点で偏差値30とかをたたき出す人は、まぁ頭が悪い。東大生を"勉強しかできない人"と揶揄するなら、こういう人たちは”勉強はできない人”と言えると思うけど(勉強もできない人、暗記は苦手な人とか同義でもイメージが結構変わる罠)、つまるところ、受験に向いてない。

 向いてない人を無理矢理に教育に関わらせる(巻き込ませる)ことを続けてることを正当化するための方便として、結果よりも過程が大事だとか、向いてないとわかっても頑張ることが美徳みたいなのがでてきてるんじゃないですかね。

 教育学部の人とかこういう人への対応をちゃんと教わってる、もしくは考えていた李するのだろうか。(ぼくには教育学部の友人がいないのでわからない。教育学部、3×4と4×3は別物!!とかそういうことを教わっているイメージしかない(偏見))まぁここまで受験の話してきたたけで、別に受験以外のこと(スポーツとか)でもこれはあてはまるのだけど。ただ、絶望的に足が遅い人は運動しないことを選べるし、音痴な人が歌わないことも選べるけど、受験は、少なくとも今の日本では、逃げることが難しい(もっともこれは、ぼくはそういう生き方をしてきたからであって、とっくにこの分野に向いてないことを悟って別の場所でイキイキとしている人もたくさんいるんだろう。)

 ぼくが受験から逃げられなかったので以降も受験を例に考えるが、各自あてはまるものが浮かんだらそれで考えてくれればいい。

 もともと向いている(向いているって何ですかという問いが生じるよくない文)人がそれをやる場合、その人は特にストレスなくそれをこなしていく。「なんでこれできないの?」ぐらいのことを周りに思いながら、自らは悠々と伸びていく。

 一方で、向いてないがそれをやることを強いられてしまっている人は、努力しなければいけない。これは結構やばくて、向いてないことを頑張ってやっているんだからそれに見合ったリターンをくれという気持ちに自然になるし、一見努力しなくてもやっていけそうな場所で生きている人(つまりその人目線で、逃げることに成功した人、もしくは努力から逃げた弱い人)を見下したりということが起こる気がする。え、なに?人生向いてない場合はどうする?まぁまぁ

 好き好んで(「すきこのんで」を漢字にすると「好」が連続ででてくるのバクっぽい)頑張ってる人は認知がゆがむことはないだろうが(好き好んで頑張っている人こそが向いている人なのかもしれない(結果を出している人ではなく))集団が(受験であれば国が?学校が?親が?)長期的な努力を強いると歪んでくる人がでてくるだろうし、それはリターンを要求しようとして自分にエンパワーメント(急に小池都知事みたいにカタカナ言葉出してごめんなさい。なんかパッと浮かんだ単語がこれだった)したり、不正に利得を獲得しようとしたりする人の存在につながってしまうのではないかと。うん?

 これが例えばゲームだったら(最近のゲーム事情を知らないんですが、Apexみたいな協力してわいわいやるゲームで、うまい下手が存在するゲームを考えてます)最初のうちは友人全員でわいわいできるだろうけど、ちょっとすればPSの優劣がみえてきて、下手な人は(勝ちに行く場合)切られる。ゲーム自体は(これはプレイヤーの主戦場という意味でも、運営側が追加するギミックにしても)ある程度うまい人を基準に難易度が調節され、上がっていく(少なくとも下手すぎてゲームそのものからリタイアした人むけに(そういう人の割合が多くなければ)難易度が調節されることはない)。てかゲームって新作出るたびに自由度があがるというか、ギミックが増えるというか、難易度があがるの、なんなん。ストレスでしかないギミックの追加をやめろ。

 さて、ゲームであれば向いてなければやめて別のもっと面白いことをやればいいけど、人生はそうはいかない。ある程度向いている人たちに向けて調節された、難易度Maniac(どーでもいいけど、グラブルは難易度が...→VeryHard→Extra→Maniacなんです、パズドラだと超地獄級みたいな?パズドラやってないからわからん)の社会があって、そこから逃げることは難しい。この社会をつくった人々(苦戦しながらも過去のManiac人生をクリアしてきて、いまの社会の難易度調整をした人々)を恨んだところで仕方ない。こういう厳しい社会はスポーツとかエンタメとかだけでいいと思うんだが、現にそうある社会をとやかく言っても何も始まらない。(人によっては「社会を変える卍」とかあるかもしれないけどぼくはそんな頑張りたくないです、変えた社会を享受するのはぼくではなくて、ぼく以降の人だろうし)う~~n

 

 で、これが最後なんですけど、これから数年間(?)は勉強とか研究とかそういうのが好きな奴らが集まってきた環境にいままで以上に密に接しながら過ごしていくので、適当に頑張ってくぞ2021って感じで新年の挨拶です。(???)

 

あけましておめでとうございます